概要
遠藤周作の人生を変え、三島由紀夫や堀辰雄が自身の作品の下書きとして使った(本書あとがきより)というだけありテーマに普遍的なものを感じられます。特に何らかの生苦しさを感じている人は手に取る価値のある作品と思います。
ストーリー
物語は、主人公のテレーズが裁判所から退廷して家路に着くシーンから始まります。彼女の罪状は、なんの問題もなさそうな家庭生活の中で突然夫の毒殺を図ったことです。南フランスの片田舎の旧家で彼女を待っているのは、彼女によって毒を飲まされながらも一命を取り留めた夫のベルナールと、田舎特有の好奇と噂話が物事を決定してゆく閉鎖的な世界です。聡明で都会的な精神をもつテレーズは、家までの長い道すがらこの事件がなぜ引き起こされたのかを、なぜ自分がそうせざるを得なかったのかを夫に理解してもらえるように、彼女の生い立ちから夫婦生活まで面々と連鎖する精神の軌跡とそこに加えられた危機について、順序だてた説明を頭の中に作り上げようと試みます。
夫のベルナールは、暴力を振るうわけでもなく浮気をするわけでもなく、旧家の長男として財産を相続し、狩猟を趣味に日々を過ごす平凡な男性です。けれど、テレーズにとって彼との生活は致死量の薬品を相手に与えざるを得ない程耐えられないものでした。その原因は小さな無理解の積み重ねだったかもしれません、あるいはテレーズの旧友のアンネが熱愛に裏切られ、旧家の嫁入り娘として、身をおさめざるを得なかったという出来事が影響しているかもしれません。あるいは、妊娠したテレーズに対する夫の心遣いを、自身を子を産む道具としてしか考えていないのではと感じてしまった事が原因の一つかもしれません。
もしかしたら夫に理解して貰えるかもしれないという希望に近づくために回想を深めるテレーズですが、家に到着したテレーズを迎えたのは、気味が悪いとは思いつつも世間体を気にして夫婦生活を維持することに決めた夫の無理解と、さらに深まった精神的な孤立でした。ベルナールとの間に設けた実の娘であるマリの存在すら、彼女の救いにはなりません。
一族の中に生まれた汚点として幽閉生活を強いられるテレーズは食事の代わりに大量のタバコを吸いながら衰弱していきます。ベルナールはそんな彼女に当惑し、最終的には彼女の希望を受け入れる形で離婚することを承諾して共にパリへ赴きます。パリの路上喫茶店でベルナールが「なぜ、あんなことをしたんだい」と問いかける、彼女にとっての一瞬の光明となる最後の会話を経て、彼の元からテレーズが去っていくシーンで物語は終わります。
感想
この物語の鍵の一つはテレーズが抱いた殺意の原因は何なのかということだと思います。作品中では彼女による長い内省にも関わらず明確な原因が示されません。女性の人格を軽視する田舎的な雰囲気や、夫との性格的なミスマッチについては語られますが、どれも決定的なものとしてでは無いように感じられます。あるいは場当たり的に実行してしまったという印象もあり、このあたりの判断は読者に任されています。
心理学者のフロイトが無意識の存在と行動への影響力を表明した「夢判断」の出版が1900年、本作の出版が1927年なので実存主義と合わせて無意識の影響という考えが入っている可能が高いですが、そういった思索的・哲学的な雰囲気は少ない印象があり、感覚・直感的な違和感や不快感の堆積が原因と受け取った方が良いと感じます。私としては、内省や心情の描写を厚くしすぎて生活から乖離しがちな古典文学と本作を隔てる要素としても後者を押したいところです。
冒頭にも書いていますが、本作の魅力は、他者から理解されない女性のテレーズです。その行いや考え方は一般的には受け入れがたいものですが、どこか、そんな彼女に共感できるところを見つけてしまうと、読者はテレーズの隠れた理解者として、世界の価値観から彼女を救う方法を模索する探求者として物語に参加してしまうように思います。小説家の遠藤周作や高木たか子が熱狂的に支持した理由もこのあたりにあるのではと思います。
遠藤周作の深い河には彼女をベースにしたと考えられる女性が登場しますが、彼のいわゆる悪女シリーズにもその影響を認めることができます。極端な意見を書けば、彼の小説の多くはテレーズへのラブレターとしても読むことができるように感じます。
本作はページ数は少ないながら、ある種の人々を圧倒的に惹きつけてきた作品です。日本での知名度はいまいちですが、手にとって損はない作品と思います。