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海辺のカフカ

Yuuki Miyoshi
June 17th, 2007 · 1 min read

 僕の両親は離婚した。母は姉だけをつれていった。僕は誰からも愛されていない。そう考えて生きてきた主人公は15歳の誕生日に家出をして東京を離れてゆく。  一方、猫と話のできる老人のナカタさんは、依頼された猫探しを進めていたが、ようやく手がかりを掴んだ頃に恐ろしい事件に巻き込まれてゆく。  二つの物語は運命に導かれ、一つの場所を目指し動いてゆく。

 主人公は父親から受けた「おまえはいつか父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という言葉に意識を翻弄されながら物語を進めます。このテーマはギリシア神話のオイディプス王の話と共通したもので、オイディプス王の受けた神託には「姉と交わる」という要素がありませんが、後の「オイディプス王とアンティゴネー」に続く、自らの両目を失明させたオイディプス王と、彼を献身的に助ける娘のアンティゴネーとの親愛的な関係から、二人目の母親というイメージの一端として解釈することができるため、あながち外れた考えでは無いように思います。

 オイディプス・コンプレックスという語は、心理学者フロイトによる汎性欲説の基礎概念で、幼少期の満たされることのない(異性の親への)性的な欲求が人の精神的エネルギーの根源であるとするものです。主体が女性の場合は若干形をかえてエレクトラ・コンプレックスと呼ばれています。この小説が特殊な点は、そのテーマがオイディプス・コンプレックスの克服にあるというよりも、その完遂にあるように思われるところです。  また、(姉などに抱きやすい)二人目の母というイメージもフロイトにより主張されたもので、実母と早い時期に引き離されると特に現われやすいと考えられています。こちらは実母イメージからの転換であるとともに、複写のように、二つのイメージが共存して現われる場合もあるとされており、ダビンチの作品である「聖アンナと聖母子」に対する考察などで話題されます。

 この作品は主人公のような種の人々にとっての現実と希望をメタファーを通して表現するという難事業に挑戦し、それをかなりの完成度で成し遂げているように感じます。けれどその作業にあたり、著者の内に働いていたであろう意識のベクトルは、この難事業の完遂であって、そのモチーフとしての登場人物たちが渇望している事柄の成就ではないような印象を受けます。  というのも、作品からは主人公のように自分の問題を見つめようとして思考する人々の悩みや生き辛さが、ファッションやポーズであるかのような印象も受けてしまうので、読み返すときの課題にしたいと思います。

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